ひらくぼパイナップル農園は、最高糖度23.1度の幻の濃厚パイナップル「ピーチパイン」を、甘熟の状態で通販でお届けできる石垣島の農家です。最高のパイナップルを追求して60年。高級百貨店にも並ばない、香り豊かな甘い甘熟パイナップルを食べる感動、味わってみませんか?

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パイナップルと石垣島の深いつながり

そもそもパイナップルとは?日本原産のフルーツなの?

パイナップルはもともと、ブラジルなどの熱帯アメリカなどの果樹として栽培されていました。

ただし今では、世界で見たパイナップルの生産地としては、フィリピンやタイ・マレーシア、最近輸入されはじめニュースにもなった台湾などの東南アジアが生産量としての多数を占めていいます。

そして日本はというと、気候と土地(土壌)の関係で、沖縄県でしか栽培できないため、生産量は微々たるものです。

実は日本で一番最初にパイナップルが入ってきたのは石垣島でした。

石垣島とパイナップルはとても縁が深いんです。

まだ沖縄県ではなく、琉球王朝だった1860年代のことです。
石垣島の海の沖でオランダ船が座礁してしまい、絶景で有名な川平湾に偶然パイナップルの苗が漂着したと言われています。
それが歴史上、日本初のパイナップル初上陸の瞬間でした。
しかし、その苗はあまり広がらなかったようです。

パイナップルの栽培が沖縄県で本格的に始まったのは1900年代に入ってからです。

沖縄本島では、1888年に小笠原から輸入されたものが徐々に広がりました。

石垣島では1930年代になり、台湾からパイナップルの苗が運び込まれました。
そして1935年になり、台湾からパイナップル農家の林発さん等を中心に数十組の家族が移住して、本格的にパイナップルの栽培が始まりました。

石垣島にパイナップル工場ができるも、戦争の影響によって栽培が縮小してしまいます。

1938年に石垣島にパイナップルの缶詰工場が出来ます。今から90年前なのに缶詰なんて、先人の方たちは本当にすごいです。
ですが、第二次世界大戦によって、生産が一時停止してしまいます…
その後、戦後の1946年から石垣島でパイナップル工場が再稼働されます。

1960年代にはさとうきびと並ぶほどに生産量が増えますが、その後に急落。

実は1960年代にもパイナップルはさとうきびと並ぶほどに沖縄経済に貢献していました。
ただ、オイルショック、冷凍パイナップルの輸入規制解除、そもそもの経済不況などにより、農家の方がどんどんと生産をやめていってしまいます。
その時は全盛期の60%くらいまで生産量が落ちてしまったそうです。
その時の農家の方の気持ちを考えると、同じパイナップル農家としてとても悲しくなってしまいますね…

そして、とどめのパイン缶詰自由化。1990年。

その当時は現在のようにフレッシュなパイナップルを食べるというよりも、缶詰パインを食べるほうが主流でした。
沖縄県のパイナップル農家も缶詰加工用のパイナップ生産が主でした。
しかし、1990年にパイン缶詰の輸入自由化。これがとどめでした。
もう価格競争に耐えられなくなったパイナップル農家はほとんど生産をやめ、
石垣島のパイン缶詰工場は、その姿を消します。

現在の沖縄のフレッシュパイナップル

その時の苦い思いから、沖縄県は缶詰用パインの生産ではなく、新鮮なまま食べて美味しいフレッシュパイナップルの研究を始めます。
そのおかげで、今、私たちもピーチパインをはじめ、他にもおいしいパイナップルの品種がたくさんあります。

本当に、先人の方たちには感謝しても感謝しきれません。

そんな沖縄石垣島が誇る、「幻のピーチパイン」を一度体験してみませんか?

石垣島が誇るパイナップル「ピーチパイン」一度体験してみませんか?

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